梓みちよの死因の理由や原因はなぜ?告別式やお別れの会の日程はいつ?

2020/02/05
 
梓みちよ 死因 理由 原因 なぜ 告別式 お別れの会 日程  いつ

「こんにちは赤ちゃん」の名曲で知られている歌手の梓みちよさんが、2020年1月29日にお亡くなりになりました。

 

ご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

 

梓みちよさんの死因や病名と病気の理由はなぜなのかと告別式やお別れの会の日程はいつなのか調査してみました。

 

梓みちよのプロフィール

 

アラベスク所属でプロダクション尾木と業務提携をしていた、梓みちよさんのプロフィールになります。

 

東梓みちよのプロフィール

名前    梓 みちよ(あずさ みちよ)
本名    林 美千代(はやし みちよ)
血液型   O型
生年月日  1943年6月4日
没年月日  2020年1月29日(76歳没)
生地   福岡県福岡市博多区
職業    日本の歌手・女優

 

梓みちよさんは、1960年代から1970年代にアメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いジャンルの歌声を披露し、数々のヒット曲を飛ばしたことで、歌謡曲の昭和史を語る上ではなくてはならない存在です。

 

1960年に福岡女学院を高校1年生で修了し宝塚音楽学校に入学します。

 

その後、宝塚音楽学校にて様々な学びを受けながら渡辺プロダクションのオーディションに応募したところ、見事に合格します。

 

オーディションに合格をした、梓みちよさんは新たな道を進むために宝塚音楽学校を中退し上京し、芸能界で活躍していくために渡辺プロダクションと契約を果たします。

 

当時の梓みちよさんは夢と希望に満ち溢れていたに違いありませんね!

 

梓みちよさんを若い頃からご存知の方なら、梓みちよさんの希望にあふれる眼差しや風貌などが想像できるのではないでしょうか。

 

梓みちよさんは、渡辺プロダクションで約1年間の歌手としてのレッスンを受けていきます。

 

そして1962年に「ボサノバ娘」というキャッチフレーズで、キングレコードから「ボッサ・ノバでキッス」の曲を携えて歌手デビューは果たし本格的に芸能活動を始めました。

 

「ボッサ・ノバでキッス」の名前を聞くと、当時の梓みちよさんの姿や自分自身を思い出すのではないでしょうか?

 

 

そして1963年7月には「こんにちは赤ちゃん」が全国で口ずさまれるほどの大ヒットとなりましたね!

 

 

梓みちよさんは、「こんにちは赤ちゃん」の大ヒットも関係してか同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞しますね。

 

そして第14回NHK紅白歌合戦にも初出場するなど、昭和を代表する人気歌手としての地位を得ましたね!

 

梓みちよさんは、「こんにちは赤ちゃん」の曲は、翌年の1964年3月の第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に採用されるなど、日本を元気づける素晴らしい応援歌にもなりました。

 

また、1964年5月には東京都文京区の椿山荘で昭和天皇の御前で、国民にも親しまれる「こんにちは赤ちゃん」を披露しました。

 

梓みちよさんは、明治時代以降において初めての日本芸能界の天覧歌謡曲をうたいきったんですね。

 
ところが、その後は歌手としての人気が一時低迷してしまいます。

 

1969年の「第20回NHK紅白歌合戦」まで7年連続出場していた紅白歌合戦も、その後4年間は出演することなく過ごします。

 

1971年に俳優の和田浩治と結婚されましたが、お互いの思いが伝わらなかったのか翌年の1972年には離婚されていますね。

 

 

その後、1974年には梓みちよさんが床に座り込んで歌う「二人でお酒を」を披露し久々に大ヒットしましたね。

 

「二人でお酒を」は第5回日本歌謡大賞や放送音楽賞など得ました。

 

また、梓みちよさんは、1974年末の第16回日本レコード大賞や大衆賞を受賞!

 

さらに「第25回NHK紅白歌合戦」にも出場するなど、歌謡曲の世界に5年ぶりに復帰しましたね!

 

梓みちよさんは、1971年7月から1978年2月まで桂文枝さん(当時は桂三枝)の「新婚さんいらっしゃい!」で2代目アシスタントを務めるなどされていましたね。 

 

1975年には「第26回NHK紅白歌合戦」で第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲「リリー・マルレーン」を日本語詞で歌うなど、多くのファンを魅了しましたね。

 

1976年の「メランコリー」は翌年の1977年までロングヒットするなどし、第18回日本レコード大賞や編曲賞を受賞するなどされました。

 

また、梓みちよさんは第27回NHK紅白歌合戦に出場するなど3年連続で紅白に出演しましたね。

 

1979年には、それまで所属していたレコード会社からレコード会社をCBS・ソニーに変えます。

 

同じ年の日本専売公社の「パートナー」CMソングに採用された梓みちよさんの「よろしかったら」は聞き覚えがあるのではないでしょうか?

 

 

ちなみにCMはこちらです。

 

 

懐かしいですね。もう40年前になってしまいますね。

 

1982年には1981年5月に亡くなられた3シンガーソングライターの大塚博堂さんの名曲「トマトジュースで追いかえすのかい」をカバーしました。

 

その後、1992年の第43回NHK紅白歌合戦に16年ぶり紅白カムバックし、トータル11回目の紅白出場を果たしましたね。

 

そして月日は流れ、梓みちよさんは沢山の人に愛されながら生きてきた人生を2020年1月29日に終えてしまいます。

 

亡くなった当日は「QVCジャパン」の通販番組の打ち合わせで、梓みちよさんのマネージャーが梓みちよさんが倒れられているところを発見されたそうです。

 

梓みちよさんは亡くなる時には一人で亡くなられてしまいましたが、梓みちよさんの経歴からたくさんの人に愛されていたことが伝わってきますね。

 

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梓みちよの死因の理由や原因はなぜ?

 

梓みちよさんの死因の理由や原因についてですが、心不全だと言われています。

 

2019年には、少し膝の調子が悪いとは言っていたものの、病気一つなく、元気に仕事をされていたそうです。

 

周囲の方々は、あまりにも突然のことで、驚かれているそうです。

 

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梓みちよの告別式やお別れの会はいつ?

 

梓みちよさんの告別式は、2020年2月2日に遺族の意向により、しめやかに葬儀は執り行われたそうです。

 

お別れの会については現在、日時や日程については公表されておりませんでした。

 

改めて新しい情報が入り次第、追記させていただきます。

 

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まとめ

 

2020年1月29日にお亡くなりなられました、梓みちよさんについてお伝えさせていただきました。

 

歌謡曲の昭和史を語る上では、なくてはならない方が天国に旅立たれました。

 

数々の歌声を披露してくれたことは、ファンの心の中に永遠に残ることでしょう。

 

また、どこかでお会いできるのなら、梓みちよさんの美しい歌声を又聞かせて頂きたいですね。

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